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【ギョベクリ・テペ】ーー人類最初の神殿は、なぜ自らの手で埋められ、捨てられたのか

結論と選び方のポイントから先に確認できます。

【ギョベクリ・テペ】ーー人類最初の神殿は、なぜ自らの手で埋められ、捨てられたのか
結論

農業が始まる前に、人類はすでに、巨大な神殿を建てていた。

この記事で比較できること
  • まず押さえたいポイント
  • 人類最初の神殿は、なぜ自らの手で葬られたのか

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まず押さえたいポイント

流れを追いやすくするために、要点だけ先に並べています。

POINT 1

人類最初の神殿は、なぜ自らの手で葬られたのか

農業が始まる前に、人類はすでに、巨大な神殿を建てていた。

POINT 2

遺跡の概要:文明史を覆した発見

ギョベクリ・テペは、トルコ共和国のアナトリア南東部、シャンルウルファ近郊の丘の上にある新石器時代の遺跡だ。地名は「太鼓腹の丘」を意味する。

POINT 3

覆された定説:文明は農業から始まったのではなかった

この発見が世界に衝撃を与えたのは、何よりもその年代にあった。

人類最初の神殿は、なぜ自らの手で葬られたのか

農業が始まる前に、人類はすでに、巨大な神殿を建てていた。

しかもその神殿は、何百年もかけて作られた後、自らの手で、土の中に埋められ、放棄されている。

「ギョベクリ・テペ」は、人類史の常識を覆した遺跡として知られている。この記事では、遺跡の概要と、比較的語られることの少ない「なぜこの遺跡は自らの手で埋められたのか」という謎について解説する。

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遺跡の概要:文明史を覆した発見

ギョベクリ・テペは、トルコ共和国のアナトリア南東部、シャンルウルファ近郊の丘の上にある新石器時代の遺跡だ。地名は「太鼓腹の丘」を意味する。

遺跡の存在自体は1963年、イスタンブール大学とシカゴ大学による共同調査で初めて記録されていたが、当時はその重要性が正しく認識されず、中世の墓地跡だと考えられていた。

本格的な発掘調査は1994年から1996年にかけて始まり、ドイツ考古学研究所の考古学者クラウス・シュミットが指揮を執り、彼が2014年に亡くなるまで調査が続けられた。

放射性炭素年代測定の結果、最も古い構造物は、紀元前1万年から紀元前8000年、つまり今からおよそ1万2000年前に建てられたことが判明している。これは、エジプトのピラミッドより約7000年、イギリスのストーンヘンジより約6000年も古い。当時、日本列島はまだ縄文時代だった。

遺跡には、高さ約5メートルにも及ぶ、T字型の巨大な石灰岩の石柱が、円形に配置されている。石柱の表面には、キツネ、ヘビ、イノシシ、サソリ、ハゲワシといった動物の姿が、精巧なレリーフとして彫り込まれている。2018年には、ユネスコの世界遺産にも登録された。

覆された定説:文明は農業から始まったのではなかった

この発見が世界に衝撃を与えたのは、何よりもその年代にあった。

これまでの考古学の定説では、大規模な記念碑的建造物というものは、農業が始まって人々が定住生活を営み、食料の余剰が生まれ、そこに貧富の差や宗教的権力者が現れることで、初めて建設されるようになると考えられてきた。狩猟採集の時代には、人々は食料を求めて移動生活を送っていたため、そのような大規模建造物は存在しないとされていたのだ。

しかしギョベクリ・テペの発見は、この順序を根底から覆した。農業も定住も、まだ始まっていなかった狩猟採集の時代に、これほど巨大で、高度に組織化された建造物が、すでに作られていたのだ。

あまり知られていない事実:意図的に繰り返された埋め立て

多くの解説記事は、この「定説を覆した」という点で話を終えている。しかし、この遺跡には、もう一つ、あまり広く語られていない、重要な事実が残されている。

この遺跡は、長い年月をかけて自然に土に埋もれていったわけではない。

発掘調査によって明らかになってきたのは、この施設において、建設と埋め立てが、何度も繰り返されていたという事実だ。

一つの円形構造が役目を終えると、人々はそれを、意図的に土砂で埋め立てる。そしてその上に、新しい円形構造を、改めて作り直す。この工程が、複数の層にわたって繰り返し確認されている。

そしてこの繰り返しの末、最終的には紀元前8000年ごろ、遺跡全体が完全に埋め立てられ、放棄されるに至った。

これは自然な風化や崩壊による埋没ではない。自分たちの手で、長い時間と労力をかけて作り上げた聖地を、自分たちの手で、意図的に、土の中へと葬り去ったということだ。

なぜ、人類は、これほど巨大な労力を投じて建てた建造物を、自らの手で埋めてしまったのだろうか。

クラウス・シュミットが提示した、もう一つの仮説

この遺跡の発掘を長年率いた考古学者、クラウス・シュミットは、この遺跡の意味について、従来の常識を覆す、もう一つの興味深い仮説を提示している。

それは、これまでの定説とは逆に、「農業が先にあり、宗教はその結果として生まれた」のではなく、「宗教的な集まりが先にあり、農業はその結果として生み出されたのではないか」という仮説だ。

遠方から大勢の人間を呼び集め、何ヶ月も、あるいは何年もかけて、共同作業として巨大な石柱を切り出し、運び、彫刻し、建て続ける。

これほど大人数の人々を、狩猟採集だけに頼って、長期間にわたり養い続けることは、極めて困難だったと考えられる。だからこそ、この場所に人々を集め続けるために、むしろ農業という技術が、必要に迫られる形で生み出されたのではないか、という考え方だ。

もしこの仮説が正しいとすれば、人類の文明は、「まず食料を確保してから、信仰が生まれた」のではなく、「まず人々が集まりたいという願いがあり、そのために農業が発明された」という、従来とは逆向きの順序で始まったことになる。

埋め立てられた理由は、今も分かっていない

ただし、ここで正直に述べておかなければならないことがある。

なぜ最終的に、この神殿全体が、完全に埋め立てられ、放棄されるに至ったのか。この最大の謎については、今もなお、決定的な答えは出ていない。

気候の変化によって、この地域での生活が困難になったとする説。社会構造や信仰体系が大きく変化したことによる説。あるいは、何らかの宗教的な意味を持つ「儀式としての幕引き」だったとする説など、複数の仮説が語られているが、いずれも確証を得るには至っていない。

まとめ

  • ギョベクリ・テペはトルコ南東部にある新石器時代の遺跡で、最も古い構造物は約1万2000年前に建てられている
  • この発見は「農業が先、宗教・巨大建造物は後」という従来の文明発展の定説を覆した
  • 遺跡は自然に埋もれたのではなく、円形構造の建設と意図的な埋め立てが、何層にもわたって繰り返されていたことが分かっている
  • 考古学者クラウス・シュミットは「宗教的な集まりが先にあり、それを支えるために農業が生まれたのではないか」という、従来とは逆向きの仮説を提示している
  • しかし、なぜ最終的にこの遺跡全体が完全に埋め立てられ放棄されたのかについては、今も決定的な答えが出ていない

人類最古の宗教施設が、なぜ自らの手で葬られたのか。

文明の始まりの物語は、少しずつ解明されてきた。しかしその終わり方だけは、今もまだ、深い謎に包まれたままだ。

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